作物をきめた
【自省録】1.2
実家に久しぶりに帰宅すると、地元はほぼ変わることなく相変わらずさびれた様相だった。
実家兼本社で名ばかりの役員会を開いた。
私は専務取締役となるみたいだった。
父、母しか役員がいないため決はすぐに終わり、何をするのかの会議にすぐ移った。
母はもう作りたいものを決めているようだった。
「これからは、キノコを作れば国産がすくなくて面白そう」
ふむ、国産がほとんどなくて、中国産ばかりなのか・・・。
「育てるための道具、方法、販売先まで全部コンサルタントがしてくれるんだって」
至れり尽くせりじゃないか・・・
今思えば、ここから会社運営のやり方を間違ったとしか言えないが、その時の私は何も知らず、他人のレールを進んでしまうそんな家族だった。
経営会議というなの、家族のご飯タイムは終了し、作物をきのことして、作る方法は、ビニールハウスで菌床をつかった栽培方法と決めた。
やることは山積みであった。ざくっとあげるとこんな感じだ。
- 場所の選定
- 資金の調達
- 栽培方法の勉強
- 人手の確保
母は、茶碗を洗いながら鼻歌交じりにいった。
「明日にでも、近くで同じような栽培をしている人がいるからさっそく見学しにいこうね」
明日は、初めてのキノコ栽培見学ができるみたいだ。というかそのキノコあんまり食べたことないな・・・。
過去の記事です。
その日は始まった
【自省録】0から1.1
0.最初に
私は、かつて会社の社長をしていました。その会社から追い出されうつ病と診断をされた。
その中で、何が起こったのか?
裏切り、お金の問題、親との軋轢、親友の裏切り、親会社内部での権力争い。
よくある落とし穴にはまってしまった私の今後のための自省録としてブログを書くことします。
1-1.始まりは軽い気持ち
大学を卒業後、IT会社で社畜をしていた私は、その日ぐらりと揺れる東京にいました。東日本大震災をきっかけに、異様に仕事が忙しくなるが給料は伸びず、やめようかと再就職先を探していた私に一本の電話があった。
母からであった。
「会社で農業をやりたい、帰ってこないか?」
それは九州の小さな島の中で、夫婦二人で建設業を経営している母からの誘いであった。
内容はこうであった。
- レア野菜の栽培は国産がほとんどなく売れそうだ。
- 建設業は景気が悪く新規事業を行いたい。
- 新規事業を立ち上げてくれないか。
本当に軽い気持ちで面白そうだしやってみるかと二つ返事。
今の会社も大会社とはいえ面白いものでもなく、農業にはあまり興味はないがやっているうちに、好きになるかなぁと考えたからであった。
早速、会社に辞表届けを出して、荷物をまとめて実家に出戻ることした。
そういえば、なんの作物を作るのだろうかと思いながらの帰宅であった。
はじめに
社長からうつ病患者になるまでの自省録を公開します。
自己紹介
IT会社から九州の離島で建設業をしていた実家の会社で農業部門を立ち上げたり、補助金を使って1億近いトマトハウス事業をしてた会社の社長をやってました。
今は、会社を売却し、選挙事務所にアルバイトに行ったりしています。
概要
ITから建設業、農業、などを経験しその中で、従業員の裏切り、会社売却、取引先とのトラブル、親会社からの軋轢を受け、見事にうつ病になるまでの自省録
なぜ書こうと思ったのか
病院の先生から日記を書くことはいいことだと言われ最初は嫌いでしょうがなかったが、自省録を読み、アウトプット大全を読むうちに、インプットだけではなく、少しずつでもいいからアウトプットを公開することに挑戦をしてみたいと思うように