あゆもんの自省録

過去現在の自省録を未来へと

人生の岐路

 【自省録】1.9

 いまでは、こう思う。機械投資は大した問題ではないが、人を雇うことはリスクが高すぎると。

 

私は、一つの考えを親に示した。地元での採用は限界がある、ここには専門人材が少なすぎるので、ちょうど大学からの友人が微生物系の大学院を出てるやつがいるのでそいつをつれてくると。

 

母は、いい人脈があるじゃないと手をたたいて喜んだ。

 

この杉本という人物こそが、裏でほかの従業員を先導し、売却先にいらぬ噂を流し、私を排斥し、追い詰める人物であった。

 

しかし、この時点での私は、長い付き合いで親友とも呼べる存在であった彼を信頼しきっていた。

 

この杉本を工場長にすえ、正社員2名を地元でのハローワークを通して雇い入れ、近所のかたがたを10名ほどパート作業員として雇入れるとことなった。

 

この採用こそが、この事業の最大の失敗であり、私、母、父の「甘さ」のあらわれであった。

 

こうして、人を雇入れ、ハウスを建て、資金を準備し終わった私は、有頂天になっていた。このあとから、ガタガタおきる問題に5年間頭を悩ますこととなるとは思ってもいなかった。

 

 

 

 

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建設準備は、よしなに

【自省録】1.8

 

 資金の準備、場所の選定などが終わったらさっそく建築となった。

 

母は、地元が違う地域で生まれたものの第二の故郷を愛していたようで、地域貢献ということを盛んに言うようになった。

 

母は、この事業が始まってからは、ずっとテンションが高いままであった。

「地域から雇用をしよう。雇用目標は10人!」

 

ふむ。

年間20-30トンの農作物をさばくのにはそれくらい人がいるんだろうなあ。

コンサルの人もそれくらいいると言っていたことだし・・・。

 

雇用目標と売り上げ目標からの逆算となってしまった施設投資計画は無残なものだった。

 

測量をもとに最大作れるハウス数を計算し、10棟はいることが分かった。軟弱地盤であり、地盤改良をすることとなり、計画外も出てきた。

水を使うので井戸も必要である。井戸もほることとした。

 

幸い、建物はグラウンドに小屋がついていたので事務所、作業場には困らなさそうであった。

 

予定通り、3000万円の計画となり、ビニールハウスの工事はコンサルに任せることとなった。このコンサルが曲者であった。

 

野村は、建設計画中にいいだした。

「キノコはなかなか正解というものがない、一緒に研究して成長していこう。そのために今考えれるベストなものをいれてあげよう」

 

正解がない、試行錯誤、今考えると営業やコンサルからこの言葉を言われると騙す気があるなとわかるが、この時、最悪なことに私は、「挑戦」「新規」とか大好きであった。母も新しいことが大好きであった。

 

そうして、建設計画は整い、合計3000万円、10棟のハウスの建築が始まった。ここから本当に正解のない、事業が始まることを私は知らなかった。

 

そして、最大の問題、雇用という問題にとりくみだした。

 

 

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補助金を引き出す。

 【自省録】1.7

 

補助金とは、国の施策に乗っかるならお金をあげようという感じのものである。

 

メリット

  • 補助の分だけ、事業の拡大ができる
  • いろいろな種類の補助金がある

デメリット

  • 書類作成がめんどくさい。
  • あくまでも補助なので、投資のためのお金はいる
  • 補助の分だけ拡張しようと欲がでる。
  • コンサルさんがはびこってる

 

補助金とは一見よさそうであるが、過剰投資になりやすいし、書類がめんどくさいというデメリットがある。

 

私が最初に使ったのは、異業種参入のための補助金で県がやっていたものであった。

それは建設業から異業種転換を促すもための補助金であり、2分の1補助1500万円までといった内容であった。

 

結果だけ言うと、3000万円の投資のうち、1500万円を補助金で頂戴した。

 

これだけ書くと、なんとあぶく銭と思うかもしれないが、書類作成、県との打ち合わせは慣れない身としては非常に時間と労力をかけやっと取得できたものであった。

 

これ以降、私は補助金の鬼となり、いろいろな補助金制度をつかっていく。そのせいで、足元がおろそかになり、従業員の反逆を招く結果となったのは、有頂天になっていた私はしるよしもない。

 

 

ざっくりと、補助金までの流れをご説明する。

 

どんな補助制度が自分の事業に適用できそうかしらべる。

  1. 自分の居住地の町・市などのホームページ
  2. 県のホームページ
  3. 中小企業庁:補助金等公募案内

  4. 経済産業省のホームページ
  5. 農林水産省のホームページ
  6. ミラサポ

 相談に行く

  • 市、町、県の各所窓口
  • 商工会議所、商工会
  • 省庁

 計画書を書く

情報収集が終わった後はいかにポイントをついた内容とすることだ。コツは各種補助金の要項を見て、それに合った内容を書くことである。もちろん担当者には内々でチェックをかけてもらったほうがいいだろう。

それで優遇されることはないが、チェックをしてポイントをついてるか、間違えがないかなどを結構おしえてくれるものだ。

 

提出日までにチキンと提出する 

基本だが、これができてないと折角つくったものも無意味になってしまうので要注意。

 

あとは気にせず待つ

落ちても次があるので、おおらかな気持ちで待ちましょう。

 

こんな感じで、合計9000万円近くの補助金を頂戴してきました。

 

そして、補助金の申請が終わり、綿密な建設計画と移行していくが、ここで「最悪のミス」を犯してしまう。

コンサルに任してしまう

という最悪のミスを・・・。

 

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資金の調達と役所の対応

 【自省録】1.6

 

私は得意なことがある。補助金の取得、事業計画づくり、事業実行である。

 

人間一番得意なことで躓くというが、私もまさにそれであった。

その第一歩が、キノコの事業計画であった。

 

今見直すと非常に乱雑であり、まさに絵に描いた餅みたいな計画であったが、なぜかそれがはまり、補助金助成金、融資を順調に引き出すことになる。

 

私は、パソコンを前ににらめっこをして、つたない事業計画を練ることとした。3000万円を借り入れを20年で返して、売り上げは1億、経費は8000万円とざっくりとした計画はこうであった。

 

売り先は、野村さんがいくらでも紹介してくれるらしく、安心していた。

 

計画書を1日で仕上げると、まずは取引銀行の信用金庫に取引を申し込んだ。なぜかすんなりと通った。しかも制度融資まで引き出すことに成功をして、低金利で借り入れを起こすことができた。

その当時の経営状況は、悪かったし、資金繰りも毎月困っている状況なのはわかっていたが、ちょうど、コンクリートから人への政策が実行されている最中であったため、さらりと通ったと思っている。

 

その時の担当者の方がまた優秀な方で、非常に本部の稟議を通すのがうまかった、この成功体験が、次の優秀ではないバンカーが来たときの対応を誤る原因となった。

 

次は、役所への廃校跡を借りに行く算段をつけに行く。

ここで、行政にだすときの文章作りのコツを一つ

  • まずは事業計画を文章でざっくり
  • 少々の地域貢献、地域から雇い入れをおこなう。などのお題目を盛り込む
  • 金額根拠などは適当に、どうせ細かい数字は誰も見ない
  • 流行ってるワードも入れるとなおいい

そうやってそれっぽいものを作り借りに行く相談をしに行く。

そうすると何個か紹介はしてくれるが、ここで意地悪をされる。

行政がもっている建物は利用権順位があるので、それが問題ですといわれるのだ。

  1. 地域住民
  2. 公共的な機関、組織、団体
  3. 一般企業

つまり、廃校のグラウンドでグラウンドゴルフを行って利用しているからだめ。といわれれば、それまで。借りることができないのだ。

 

しかも行政が紹介するのはそれらをスクリーニングしていないことが多い、良さそうだと思って話を進めるて初めてわかる場合が多く、結局なかなか進まないのだ。

 

しかし、今回の場合はたまたま10年以上使っていない場所があり、すんなりと借りれることができた。田舎特有の地域の有力者にはきちんと挨拶をしての結果だった。

 

それから、測量をして、地域住民の説明会も開き、初めて契約まで結ぶことができた。

 

この作業で4か月は時間を要してしまった。

 

並行して進めていることがあった。それは補助金の取得についてであった。

 

 

 

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自称コンサルタント

【自省録】1.5

 

 私は今や、コンサルタントという人を疑ってかかるような性質をもっている。

 

しかし、この時の私はただひたすら、この人を信じようと自分自身に言い聞かせて事業を進めていくことになった。

それは、コンサルタント、親、経営パートナー、親会社、取引先の社長と色々な人を信じて信じぬく一歩であり、すべてから裏切られる一歩でもあった。

 

野村さんという人が経営しているNMCという会社はキノコの菌床と、その栽培指導、販売などを行って生計を立てている会社であった。

家からは車で2時間もかかるところにあった。

「どーも、初めまして野村です。木村さんからきいてますよ。きのこやりたいんだって?いやー君たち運がいいよ。俺と出会えてキノコ業界は詐欺がおおいから」

 

そういいながら、うそぶく野村さんは、どことなくカントリーミュージックでもすきなのかな?と思わせる、皮のジャケットとジーパンをはいた初老の男性だった。

 

私は後から知ったが、この野村という人物も多方面から詐欺師と呼ばれており、キノコ業界は慣習なのか皆がお互いを詐欺師と言い合う性質がある。

 

母は、ずーとにこにこと笑顔でマシンガンのように質問をしていた。

「ほんとうにおもしろいですね。作ったキノコはうれますか?どうやって作るんですか?建築費用はいくらくらいかかるんですか」

 

野村の目がギラリ光ったような気がした。

「そうですね。ハウス1つ300万くらいですかね。あと菌床は一つ250円ですかね。私が建てればぴしゃりとしたハウスを建てて、一つから1kg取れるよう最後まで面倒見ましょう」

 

母はその言葉を聞くと上機嫌に握手をすると帰路に就いた。

車内で打ち合わせをする。

  • 10棟建てよう
  • 3000万円くらいの投資
  • 乾燥キノコは1kg1万円で売れる。
  • 年間売り上げ目標1億

今となって考えると、捕らぬ狸の皮算用であり、夢ばかりが膨らんでいる設計であった。

でもその時は、母と二人でうきうきとした気分を抑えきれず、今からやってやるぞっと意気込みばかりが先行していた。

 

今度は、計画を立てて、銀行と役所に乗り込まないといけない。

今年は忙しくなりそうだと考えながら2時間の車中を過ごしていた。

 

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家族会議

 【自省録】1.4

 

私はこれからいやというほど行う家族会議の最初を味わっていた。

文字通り味わいながらである。わが会社、「貝塚建設」の経営会議は、夕ご飯を食べながら行うことが通例で会った。

 

父は、いつもアルコール片手にほろ酔いで話す。

「ふーん。じゃあ廃校使わせてくれるか役所に言って話さないとなぁ」

 

母は、にこにこと上機嫌で話し出す。

「明日にでもその野村さんのところにいこうか。電話で木下さんが空いてるからいってきなっていったたしね」

 

わかったと返事をして少し考える。

改めて私が把握してる会社の状況をまとめると・・・。

  • 財務状況は悪い。資金繰りに毎月困っている。
  • キノコを作る。
  • 場所は廃校
  • お金は全額借入
  • 売り先、作り方はコンサルがいる。

私は、毎月の給料の支払いに苦労をしているのはよく知っていたし、建設業も政治の影響を受けやすく売り上げが一時期の8000万円から4000万円と減少しており、それが少し回復するかな?といった状況も知っていた。

 

でもきっと農業を行い新規事業でこの会社を盛り上げよう、家族を盛り上げて楽しい生活を送っていこうと無邪気に考えていた。

 

しかし、資金繰りの厳しさ、赤字会社の立て直しの困難さを私はしらなかった。

 

 

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キノコ栽培を見に行く

 【自省録】1.3

さっそく、実家から1時間ほど離れている場所で、栽培をしている人に話を聞きに行くことにした。

母は車中で上機嫌にしゃべりだした。

 

「木下さんという人で、大阪で運送業をしてて実家に帰ってきてキノコを栽培してるのよ」

 

へー、キノコの栽培かぁどんなところで、どうやってしてるのかな?

と、考えながらその現場に到着した。

 

そこには、丸顔のいかにもといった大阪弁でしゃべる50台の女性が待っていた。

「こんにちは、ウチは木下といいます。ここでキノコ栽培をしとります。何でも聞いてください」

 

一見笑顔で、気のよさそうだが、少し癖のあるような感じの女性であった。

その女性は、聞いたことにすらすらと答えてくれた。

元は小学校だったらしく、行政から借りてハウスを建ててつくっていた。

 

「生育場所を案内しますね。見て行って勉強したってや」

木下さんの後を、母と二人で着いていくと、母はにこにこの笑顔で熱心に木下さんと話し込んでいた。

 

そこには、遮光性がある暗闇のハウスで、10棟ほどずらりと並んだビニールハウスの中には、木で組まれた棚がずらりと用意してあり、その棚に所狭しと真っ白い筒状のものが並んでいた。

 

「これが菌床やで。これからキノコが生えてきます。これを業者から買ぉて、作ったキノコもその業者が買い取ってくれる。ええ商売でっせ」

 

木下さんは、にやりと笑いながら、母に一生懸命売り込んでいた。

 

母は興奮した様子で矢継ぎ早にいった。

「ぜひ、その業者紹介してください。私も作りたいです。廃校になった場所はまだまだあると聞いてるんで、やります!」

 

笑みが深まった木下さんは、いいでしょう。紹介しますよ、仲間ができてうれしいです。と母と話していた。

 

その隣で私は、母の熱気に充てられ、さっそく計算を始めていた。

  • 従業員は何人いるのだろうか?
  • 1棟いくらかな?
  • どこから人をあつめるか?
  • 菌床は1個いくらで、キノコはいくらで売れるのかなぁ?

 

木下さんは、携帯電話を取り出したかと思うと、野村さんという業者の番号を教えてくれた。

 

なんでも、その野村さんという人が、指導から販売までやってくれる人で全部任せると安心だそうだ。

 

至れり尽くせりで、安心して投資ができると私は無邪気によろこんだ。

 

私は、母と二人でボルテージがあがり、冷静な判断ができなくなっていた。

人を信じ頼ることは、時として人のレールに乗った商売と呼ばれ、多くのものを失う第一歩であることを私は知らなかった。

 

 

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